殿館造りの城郭

①高山陣屋の三層楼閣。
本来城郭なら天守閣があるところですがこの陣屋は随分、控えめな高さの小さな楼閣が建物の中心に設置されています。
江戸時代にありがちな威圧感いっぱいの白漆喰の塔とはまるで趣の異なる建物です。
どちらかと云えば西本願寺の聚楽第遺構と伝えられる飛雲閣に近い雰囲気です。

②高山陣屋内から見上げた三層楼閣。杮葺きの質素な造り。まるで一般住宅並みのスケールです。


③かつての飛騨高山城の復元ひながた。
殿館風の城郭で、一部、寝殿造りの造作があり繊細な佇まい。
天守閣自体は、一層目が8間×8間と中堅規模ながら、最上階は5間×3間と大きく、迫力があります。
逓減が少ない天守閣は江戸城や名古屋城のようにバランスがいまひとつのケースが多いですがこの高山城はアンバランスな美が具現されています。
しかも望楼型天守で古式な形態であるのが好ましく、この天守が保存されていればさぞかし第一級の国宝であったろうにと惜しまれます。
黒色の下見板張りや回縁(まわりえん)と呼ばれる縁側(えんがわ)に高欄が付いている形式がいかにも古風で、雅な外観です。
こんな華奢な城郭であったからこそ、高山藩は江戸政権から睨まれ、取り潰しになったのかもしれません。
④屋根が瓦葺でなく、杮葺き(こけらぶき)。さすが後背地に豊かな森林を抱えるだけのことはありました。

⑤結局、これらの名建築のみならず石垣まで、江戸政権の命で徹底破却されたとは、やり過ぎと云えばやり過ぎで、猜疑心と陰険な権力をふるった当時の中央政権の影を感じます。





⑥そんな飛騨高山城と同じ命運を辿った先輩格の豊臣大坂城。
こちらも絵図から推察されると宝形型の櫓など、殿館風の外観でした。


⑦こちらは高山市内に残る高山城の遺構。大坂城の櫓と同じく宝形屋根の建造物があったようで、現在は雲龍寺の山門に転用されています。



⑧主郭が残っているわけではありませんが、一部でもこのように遺構が後世に伝わったのは奇蹟的です。
この雅な楼閣門に当時を偲び、古建築の醍醐味を味わうのもよいものです。








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