桃山文化の黒艶

桃山文化と云えば狩野派の絵画に代表される豪華絢爛なイメージが想起されますが果たして後世の私たちがイメージする通りだったのかどうか。

桃山文化の一端を担う城郭建築については、確かに絢爛華美という要素があるものの同時にシックでダークな黒の色彩も共通項のように思えます。
以下は桃山時代最盛期の建造物。
何れも豊臣系西国の城郭建築ですが壁面は白漆喰総塗でなく、黒漆の下見板張でした。
まさに「黒艶の美」です。 鉄釉を黒く発色させた桃山陶の「織部黒」にも通じるものがあるかもしれません。


①天正期建造の大坂城天守閣 。普請は、法隆寺大工の棟梁、中井氏が務め、木材は、吉野檜を使ったようです。現在の昭和大阪城天守閣とはイメージがかなり異なり、黒艶と濃藍色の深みのある色彩外観でした。

②京都聚楽第に倣って築造したと云われる豊臣五大老の一人、毛利輝元による広島城。
入母屋の上に望楼を設けた古式な天守閣の形態で、すらっとしたバランスの良さは天正期大坂城天守閣と極めて類似しています。

③熊本城に現存する宇土櫓。関ヶ原で石田三成に組した小西行長の宇土城天守閣を移築したとの言い伝えがあります。これは普通の城郭なら天守閣以上の規模。これもやはり入母屋の上に望楼を戴く形態で優美で古式な風格が好ましいです。


④名城中の名城と云われる加藤清正の熊本城。近代戦争であった西南の役でも持ち応えたわけですが天守閣は惜しくも焼失してしまっています。大天守は宇土櫓と同じく黒色の下見板張でシックでダークな雰囲気でこれも又入母屋形態の大櫓に望楼を戴く古式な形態。


⑤肥前名護屋城。屏風に残る姿から復元してみるとこの城も又、入母屋の上に望楼を載せた古風な天守閣だったようです。外壁は白漆喰にしていますが、破却箇所からはあまり白漆喰の残骸が検出されておらず、下見板張であった可能性も高いと思われます。

こうして見比べると江戸時代の真っ白で最上階までずんぐりした、廻欄干のない天守閣との比較では、 桃山建築の城郭は、天守閣の見栄えを重視し、豪壮というよりむしろシックで力強く、バランス感のある外観であったと思われます。

まさに「黒艶の美」が具現されていました。

黒色の美と言えば同時代では長谷川等伯の画風もそうでした。

色彩以外では、外観において「景観のバランス」を重視している点は評価されるべきかもしれません。
大坂城も聚楽第も広島城も熊本城も名護屋城も何れも天守閣は単独の天守台に建っておらず、本丸塁上の隅に見栄えよく位置するよう設計されていました。

単独で立っているより天守閣が累上に聳えている方が美しく見えるというのは、絵画的でもあり、この時代の建築家達のセンスの良さを感じざるを得ません。






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