興福寺から春日大社までの雪景色

①猿沢池からの興福寺五重塔。
日本国内で東寺五重塔に次ぐ高さです。
東寺五重塔は平安期のオリジナルでなく、江戸期に入ってからの再建。こちらも奈良期からではなく室町時代の再建です。何度も火災で失われ、その都度再建されてきました。奈良には、東大寺、西大寺、元興寺、春日大社、大安寺、新薬師寺と大塔が林立していましたがそのほとんどが火災で失われ、今では、市内では薬師寺と興福寺にしか大塔は残っていません。まことに残念なことです。
さて、驚くべきことに韓国で貴重な国宝の南大門が先週、放火で失われてしまいました。この現代、セキュリティシステムが確立されているようにみえる中であっけなくたった一人の人間の行為でいともたやすくこんな重要な文化財が失われてしまうとは。。。
日本でもかつて1950年に京都鹿苑寺の金閣が放火で失われています。
木造建造物の保全には細心の注意が必要です。
このようなことが二度と起らない様、木造の文化財を保有する国はしっかり保全策を講じるべきでしょう。
特に奈良などはオープンスペースにある重要文化財が数多くあり、寺社はもちろん、国、自治体、地元としっかりした連携で保全に努めていくべきでしょう。

②左端が南円堂で写真では確認できませんが、五重塔より古い鎌倉期の三重塔がその西側に慎ましやかに佇んでいます。
③五重塔を北西から。こんな素晴らしい国宝塔を無料で公開しているところがお金にあくせくしない奈良らしいところといえば奈良らしいところです。ちなみに京都東寺は境内に拝観料を払って境内に入らないと五重塔には近づけません。奈良は境内自体が鹿の縄張りになっているので、結界で物理的に仕切るのが難しいのかもしれません。

④東金堂と五重塔。この建物が並ぶ様は遠近で観て大変美しく見えます。現在、興福寺は中金堂の再建に取組んでいます。通常の仏教寺院と異なり、奈良の仏教寺院には檀家制度というものがありません。(つまり檀家を基盤とした集金制度がない。)
ですので中金堂の再建など財政的に大変な事業であり、京都の寺院と違ってさほど裕福でない興福寺は大変だと思います。
寄付をしたところ、使い物にならない江戸時代の旧中金堂の瓦を頂きました。

⑤こちらは興福寺から春日大社に向かう参道沿いにある仏教美術資料センター。
旧奈良県物産陳列所で1902年の竣工で奈良では古くありませんがそれでも100年は超えて残っているりっぱな建造物です。
奈良を案内した友人に「最近の新しい建物で明治の半ばぐらい。」と説明したら「奈良での最近は、東京の最近とずいぶん違いますね(笑)。」と。
建築家は東大教授を務めていた関野貞氏でこの他では大阪の御堂筋の日本生命旧本社も代表作だったようです。
⑥仏教美術資料センターを北東背後から。
この建物の特徴は伝統的な日本建築の屋根を全てのパターンについて多用していながら、装飾がオーバーでなくいやらしくなっていない点でしょうか。正面飾りは切妻で両翼はまるで宇治平等院のように方形屋根の望楼になっておりバランス感が素晴らしいです。本館は入母屋でどっしりした安定感があり、窓に工夫がしてあってここがいかにも明治建築らしいのですがイスラム寺院を意識した意匠になっています。奈良見学ではほとんど見向きもされない建造物ですが、奈良ホテルと同様、近代の奈良建築として一見の価値は大きいと思います。

⑦興福寺からまっすぐ東に突き進むと春日大社。鹿が神使となっています。
祭神は、
・武甕槌命(たけみかづちのみこと)
正面から向かって一番右側の本殿(第一殿)に祀られています。
・経津主命(ふつぬしのみこと)
正面から向かって右から二番目の本殿(第二殿)に祀られています。経津主命と武甕槌命は、天照大神の子孫が高天原から降臨するに際し、大國主命ほか多くの神様と和平を結ぶ功績のあった神様とされています。
・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
正面から向かって右から三番目の本殿(第三殿)に祀られています。 天児屋根命は天の岩戸に籠もった天照大神を岩戸からお出ましを願うために、お祭りを行った神様とされています。
・比売神(ひめがみ)
正面から向かって一番左側の本殿(第四殿)に祀られています。
称徳天皇の御世(767年)、平城京鎮護のため、鹿島神宮の武甕槌命を春日大社の祭神に勧請したとのこと。この時、武甕槌命は白鹿に乗って御蓋山(三笠山)に来られたという伝説から、以来、鹿を神鹿として保護敬愛しています。
となると奈良の歴史の中では意外に春日大社の歴史は古くないように見えますが実はそうでもないようです。
756年の創建間もない東大寺とその周辺を描いた図である「東大寺山堺四至図」には、すでに現春日大社の地に築垣に囲まれた神地と記入がされた区画があるようです。
つまり、奈良時代当初から神山として信仰の対象であった御蓋山を礼拝する場が既に設けられていたわけでそこに藤原氏の氏神を祀る春日大社が入ってきたというこです。元々この地で祀られていた榎本明神は今も春日大社内の本殿西回廊横南西隅に祀られています。
東の国からの男が奈良に来て、日本を救うという万城目学氏著作「鹿男あをによし」はまさに春日大社の神話がベースになっています。(鹿に乗ってきたのでなく新幹線に乗ってきたところが大きく違いますが(笑)。)







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