今井町の「もてなし」は「まごころ」満点



          
















  今井町の町中。今後順次、電柱の地中埋設を進めるそうです。


明治天皇がお泊りになった称念寺。鐘楼は城郭の櫓そのもの。


「日々ほぼ好日」のTetsuda先輩と「今井町保存会」の皆さんの企画による「今井にまなぶもてなしの心」に参加です。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/97172a314456a761432d89f731106713
http://homepage3.nifty.com/syodou-yamakitiman/
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/cd21834f0bfb9dbfabc93bfaab33ba5c

今井町見学の玄関ともいえるクラシックな美建築、「夢甍」に集合し、基本説明を受け、それから環濠跡沿に歩き、南門から入城。(今井の筋道はすべて屈折しておりまるで城下町です。)

重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、国内の近世町並みとしては屈指の歴史景観都市でしょう。
まさに江戸時代の町並みがそのまま冷凍保存されてきたような趣。
町としては、室町時代から発展し、信長とは一時期緊張局面でしたが豊臣時代に優遇されピークを迎えました。
その後、江戸時代になって自治権が制約され、純粋な商業都市になりましたが、明治になって、大名貸がディフォルトし、また、鉄道網、幹線道路も通らず、経済発展からは取り残され。。。

商業都市としては、物流拠点でなく、取引仲介に徹し、信用で商売をしていたようで今日でいうところの商社の町だったようです。自己資本を投資にシフトし、大名貸が本業になるところもあったとか。

商人パワーによる自治都市という意味ではフィレンツェやベネチアに似ているかもしれません。

あまり知られていないのは観光目的化しておらず、観光客が少なく、京都や飛騨高山のような賑やかな観光都市とはずいぶん違った雰囲気です。(そういう意味ではフィレンツェというよりアッシジ?)

以前は、「敷居が高い」印象があったのですが、実際はそんなことはなく、「今井町保存会」の皆さん30名もの方から「まごころ」満点のもてなしを頂戴しました。

200-300年前後の歴史のある民家で生活し続け、守り続けようという姿勢には感銘です。

太閤秀吉が何回か立ち寄った所や明治天皇が西南戦争勃発の際に宿泊されていた寺などまさに歴史の舞台が民家の谷間で残っているというのが不思議なくらいです。

お昼の「茶粥」は、素材はもちろん茶碗(赤膚)も箸(吉野杉)もこだわりの素材で、しかも土釜を使うのに文化庁と掛け合っていただいたり、また、津田宗久や古田織部などと交流のあった茶人の尾崎家では庭の草引を今回のためにわざわざしていただいたり。

実家のもともとが奈良で材木商をしていたので旧牧村家(現豊田家)では何やら懐かしい印象を受けました。(やはりここも材木商を続けられなかった。。。)

河合家ではこれから発売となる「宗久」を試飲堪能したのでした。(今井町出自の天下3大宗匠今井宗久に因んだ純米酒)

称念寺ではご住職から本願寺形式の本堂を説明頂きましたが、いまや、同じ浄土真宗でも本山以外でこれだけの規模を有する堂宇はなく、維持修復が大変だと。。。
談山神社から移築した門と威風堂々とした鐘楼は実はこの今井町が城塞都市であったことを物語っています。

やはり「和」の空間は人をなごませ、「木」こそがこれからの日本の目指すべき町造り、家づくり、仕事づくりの原点にしないといけないのではとつくづく感じました。

そして町づくりに大事なのは間の取り方だということも。
道は狭すぎず、広すぎず、かつ、屋根の高さと角度の適度な水準が心地良さを作っています。
これらのバランスの取れたハードとそこに住む人々のソフト力が相まって、本当の「和」の空間になっているのでしょう。
今井町保存会の皆さん、副会長の若林さん、それに奈良ブログで有名な銀さんもいずれも着物姿で「和」の雰囲気も盛り上がり、「まごころ」満点の「おもてなし」づくしでした。

奈良町や高畑も形は違うものの見習うべきところが多いと感じました。

ちなみに「宗久」は最高の美酒でした。
見学会後はこの「宗久」で宴。
今井町保存会の役員、Tetsudaさんはじめ南都銀の皆さん、奈良町長屋ふしぎ堂さんや独語力さん、まほろば(大和路)さんなど有名奈良ブロガーも勢ぞろいで楽しい宴会となりました。

コメント