「利休にたずねよ」で直木賞受賞した山本謙一氏原作の「火天の城」を鑑賞しました。
なかなか骨太の作品です。
制作は東映で今までの歴史もの、時代劇ものとは異なる独自の作風になっています。
京都周辺の現場ロケも素晴らしく東映京都撮影所ならではの流石という作品出来映えです。
もともと古建築のジャンルの中で、この安土城の天主という建造物は異彩をはなっており、非常に興味深いテーマです。
http://www.pref.shiga.jp/edu/sogo/kakuka/ma16/aduchijo/index.html
安土城全体についてのいくつかのユニークなポイントは、
1.設計構造上、天主は吹き抜けになっていたのかどうかの論争。
2.外観がどうであったのか(「大坂城」と異なり全く外観絵図記録が残っていません。)
特に基礎については天主台が不整形八角形でどんな1階であったのか。
3.本丸にある御所と全く同じ清涼殿の基礎は何を意味するのか?
4.真っ直ぐな大手道(普通、城郭の大手町は屈折している。)
5.安土城設計のモデルとなった城郭は?(本当に最初の事例か?)
映画では特に1について興味深い仮説を設定していました。
設計は、宮上茂隆博士(竹林舎建築研究所)によるもので内部構造は吹き抜けになっていません。
さて、劇中で「ひな形競い」というシーンがあって、まさに設計コンペが描かれていました。
後に作品で使われた小道具はオークションに出品されその際にこの設計コンペの図が出点されていました。
この設計は、和州中井家一門によるもの。(東映さんのオークションページより)
劇中では東大寺建立に携わった一門とのことで寺院風建築のテイストが押し出されていました。
デザイン上のバランスは大坂城や伏見城、福岡城天守に似ています。
こちらの設計は入母屋に金閣のような楼閣を戴いた外観で京都の棟梁池上氏によるものと。
大和と山城京都とではかなり趣が異なります。
こんな天主もあったら是非、見てみたいと思いました。
この夢殿のような八角屋根をベースにした望楼は当時としては破天荒なデザインだったでしょう。
さて、ここからが奈良との繋がりです。
確かに大工棟梁は熱田神宮の岡部氏担当となったわけですが、
1.八角屋根は法隆寺、興福寺などの仏殿(夢殿、北円堂、南円堂)のデザイン流用
2.瓦は奈良の瓦工房から調達
3.安土城よりはるか前の1560年(永禄3年)に建設された多聞山城四層櫓(日本初の城郭天守)の影響
実は織田信長は、1574年(天正2年)、東大寺正倉院宝物、蘭奢待(らんじゃたい)の切り取りのため、わざわざ、奈良まで来ているのです。
そして安土城築城開始が1576年(天正4年)で完成したのが1579年(天正7年)。
信長が天下の覇者としてのシンボルとして蘭奢待(らんじゃたい)を切り取った時、奈良の北方に聳える多聞城を見てどう感じ、どう安土城建設につないだのか。。。
多聞城を見て、奈良南都の寺院建築を見て建築とはいかなるものか根底から考え直したのではないでしょうか。
パーツ(瓦)にしろデザイン(八角屋根)にしろ、コンセプト(高層櫓建築)にしろ全部、元はと云えば奈良から持ってきたのが安土城天主ということでしょうか。
ちなみに安土城の後継ともいうべき大坂城では法隆寺大工の中井氏が担当し、材も吉野桧を使っています。
こちらも宮上博士設計案に基づく安土城ひな形
こちらは広島大の三浦教授研究チーム案に基づくと思われる大坂城天守閣。安土城では不整形天主台と天主閣との間には大きなスペースがありますがこの大坂城天守では塞いでいます。こちらは「火天の城」でも制作協力した京都の古建築精密ひな形制作の「さんけい」さん制作の大坂城天守閣。秀逸な外観デザインの復元です。
コメント
映像たっぷりの映画はもちろん素晴らしかったですが原作も素晴らしかったです!
「不整形天主台と天主閣との間には大きなスペースがあります」 会津若松城にもありますね。内藤案の不等辺八角形の一層目を信じたいです。でなければ、岡山城など出てこないと思われます。
あの一層目、ダイナミックで格好いいですね。
広島大の三浦先生も不等辺八角形めいっぱい説ですね^^。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/miurayu/castle/azuchitenshu-ritsu.html