空前絶後の巨塔、東大寺七重塔再建へ

日々1000名以上が閲覧するという「日々ほぼ好日」で奈良情報を発信されているTetsudaさんから素晴らしいニュースを教えてもらいました。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/366821162e2ca9e2ab8aabaa486eefee

http://osaka.yomiuri.co.jp/nara/news/20100403-OYO8T00295.htm?from=ichioshi"

東大寺さんがいよいよ意を決め、あの幻の巨塔、七重塔を再建されるとのこと!
まさに「燦然と輝く都だった」奈良に回帰する動きです。

東塔、西塔が聳えていた鎌倉時代東大寺
     若草山から奈良時代の東大寺伽藍
高さ約100mで日本の史上、安土城より、大坂城より、そして江戸城より高かった最高のあの東大寺七重塔を再建するとは!
過去数年間でこれほど願っていた感激ニュースはありません。

大極殿の再建はもちろん素晴らしかったのですがやはり奈良のランドスケープを決めるのは東大寺や興福寺など外京の伽藍であり、そのスカイラインを決める塔が復元されるとは嬉しい限りです。

今では奈良のスカイラインはやや低めで東大寺大仏殿と興福寺の塔が基本です。
その倍の高さだった東大寺塔が復元されるということはよりオリジナルの奈良の都に戻すということでしょう。

東塔が焼失してしまってほぼ650年経過しています。
しかし奈良の歴史が遷都以来1300年であることを考えれば東大寺の塔が欠けた今の状態はむしろ例外的な期間であると云うべきでしょう。

東大寺の巨塔が聳えていないことが今では普通になってしまった奈良ですがそれはむしろ異常なことです。
本来は祈りの都であり、仏都であることがアイデンティティですからその中心のひとつとなる大寺の塔が無いとは不完全な状態としか形容ができません。

また不遜な言い方かもしれませんが観光都市となった今、見栄えのするランドスケープ象徴が都市空間の真ん中に軸として復元されることは有難いことです。

塔を再建することで再度、奈良が本来のアイデンティティを確立し、外見も中身も相応しい世界の古都を目指していけるかどうかこれからが試練かもしれません。
12世紀末の俊乗房重源、17世紀末の公慶上人以来の大掛かりな勧進になるでしょう。
当時と違い国家事業とならないことからリソースの確保は大変だと思います。

再建計画策定に数年程度かけ、その後、資金調達、資材調達、建造と大変な時間と資金と労苦が必要とされるでしょうが是非、成し遂げたいものです。
難易度は古代高層建築ですから大極殿並みかそれ以上でしょう。

完成すればきっと大仏様も落ち着かれることでしょう。

以下、読売オンラインより引用
東大寺、『100メートル』七重塔再建へ650年前焼失の東塔

鎌倉時代の東大寺縁起に描かれた大仏殿(中央)と東塔(右)、西塔(左)(東大寺提供) 奈良・東大寺は2日、創建時(8世紀半ば)に建立された東西の塔(七重塔)のうち、室町時代に焼失した高さ約100メートルの東塔の再建構想を発表した。今後、文化庁などと協議して3年以内に東塔跡を発掘調査した上で、文献などをもとに高さや構造などを決め、建設計画を策定する。

 「東大寺要録」などによると、東塔は764年、大仏殿を囲む回廊の南東に建立され、高さ94メートルや98メートルの諸説ある。1180年の平氏の南都焼き打ちなどで焼失。1227年に再建されたが、1362年に落雷で再び焼けたとされる。西塔も平安時代に焼失し、現在は両塔の基壇が残る。
 5月に第220世別当(住職)に就任する北(きた)河原(かわら)公敬(こうけい)・上院院主は「何年かかるかわからないが、鎌倉時代に大仏殿とともに復興しようとした重源(ちょうげん)上人の思いを実現し、後世に伝えていきたい」と話している。
東大寺(2004年6月3日)聖武天皇が創建した華厳宗総本山。本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)で752年、開眼供養が行われた。
東大寺要録によると、753年に東西2つの七重塔を建立。相輪を含め高さは約100メートルあった。
西塔は934年の落雷で、東塔は1180年に平家の焼き打ちで焼失した。現在の大仏殿は江戸時代の再建だが、世界最大の木造建築。

http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010040201000773.html

「七重の東塔」再建に向け発掘へ 東大寺、過去2回焼失
 東大寺(奈良市)は2日、過去2回焼失した七重の東塔を再建するために、塔跡の発掘調査を近く始めると発表した。第220世の別当(住職)に来月1日就任する北河原公敬氏が記者会見で明らかにした。

 奈良時代の創建当初の東大寺では大仏殿をはさんで東西塔が並び立っており、高さはいずれも100メートル程度だったとされる。

 東大寺によると東塔は1180年の南都焼き打ちで焼失。鎌倉時代の1227年に再建されたが、1362年に落雷で再び焼失。現在は基壇の跡だけが残っている。

 東塔跡の本格的な発掘調査は初めてで、依頼する研究機関は検討中。調査に基づいて建物の規模や構造を推定し、再建が可能であれば勧進で寄付を募りたいとしている。

 北河原氏は「先代たちが残してくれた寺宝を守るだけでなく、私たちの代で復興したものを後世に伝えていきたい」と話した。

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