大地震

3月11日金曜日、大地震に遭遇したのは芝増上寺境内隣の芝プリンスホテルで大和証券主催コンファレンスにおいてでした。

堅牢と思しき最新設備の地下大会議場。

ところがそんな所での地震でしたが揺れはすさまじく、しかも長く、これは「もうあかん、倒壊かな」と思ったほどです。

主催者側の冷静な指示で講演者のインド人も我々もともかく机の下にもぐりこみ、天井からの落下に備えたのでした。
高さ100mのコンクリビルの下敷きになるのかと恐怖を感じました。

これほど物事を長く感じたことはありません。

いよいよ関東震災も再到来かと。
その後の館内放送を聞いて驚き。

震源は関東でなく東北だったと。。。

これもまた驚きでした。
震源地からこれほど離れていてこれだけのショック、振動だったとしたらもし直下型だったら。。。
被災地の方はお気の毒としか。。。

一刻も早い復旧を祈りたいものです。

わたしの方は結局、丸の内の社には帰れず当然、はるかかなたの三浦半島にも帰れず、地下の会議室で一晩過ごしたのでした。

直下型でなく直撃も何もなかったJRですがなぜか私鉄と比べて回復が遅く、結局横須賀線は最後の最後まで駄目でした。

帰宅できたのは翌日土曜日の15:00でいやはやでした。

豪壮な旧伏見城門、今は御香宮神社の門として移築再利用
最近、屏風絵で見つかった伏見城
城門ですが蛙股が繊細でいかにも桃山期らしい風情
小天守の最上層屋根には斗栱もあって寺院風構造
写真はかつて400年前大地震で倒壊して再興された伏見城。
もともとは宇治川畔の指月に構築されていましたが地震で大被害を受け、結局、その場所を放棄して新たに木幡山(つまり今の桃山)に伏見城を移築・再構築したのでした。

五重塔は免震構造で倒れませんが城郭の天守閣は大型建築だけあって直下型では大被害だったようです。
司馬遼太郎さんの「関ヶ原」では伏見大地震の際の描写が克明に描かれています。
謹慎処分中だった加藤清正が倒壊した城郭の中を掻き分けて秀吉の所に助けに駆けつけるというシーンでした。

東電の福島原発もそうでしたが災害時には想定外のことが発生するもの。
それに対するダメージコントロールがどれだけ事前にプログラムとして組み込まれているかが肝心なのでしょう。

現代の大型建物に囲まれている都心はまさに恐怖の館です。

ついでに気になるのは地震の連鎖・連動と津波。
慶長伏見大地震は1596年9月でしたが先立って、伊予(愛媛)、豊後(大分)でM7クラス以上の地震が先行していたそうです。
その後、1605年のM8クラスの地震となって太平洋側大津波となり1-2万人が亡くなったと。

そういう意味では元禄(1703年)、宝永(1707年)の大地震・津波や安政(1854年)大地震・津波、明治三陸地震(1896年)と比較的記録がはっきりしているだけでも地震が地震に連動し、大規模な津波を引き起こしていることは歴史の示す通りのようです。

史上最悪というよりやはり歴史は繰り返す、と肝に銘じ、震災災害を前提とした町づくりをすべきということでしょうか。
加藤清正のようなスーパーマンが救援に来るという前提などあり得ないのですから。。。

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