三笠閣が転じて聴秋閣に

 かつては二条城にあった三笠閣。奈良の三笠山(春日山)にちなんだ楼閣でした。春日局がねだって京都から江戸に移築してもらったとのこと。明治になった三渓園に再度移築。現在の名称は聴秋閣。秋のシーズンでなくとも素晴らしい佇まいです。築は江戸時代ですが桃山風名建築でしょう。
 一階屋根は変化のある入母屋建築。二階の望楼は前面は欄干付きですが後ろ側は省略。
 旧三笠閣の一階内部。
 旧三笠閣の背後。長方形でない変型できわめてユニークな構造です。眺望機能を重視した風変わりな建築です。左右非対称、前後も非対象で同じ楼閣建築でも金閣、銀閣よりは飛雲閣に近いかも。
臨春閣の玄関入り口。桃山建築風の唐破風が大げさでなく好感持てます。
大阪からの移築で伝聚楽第とのこと。唐破風はバランスが欠けると建物自体の品格が下がってしまいますがこの臨春閣はなかなかバランスが良いかと。
左奥に旧三笠閣。その手前が唐門橋で高台寺にあるものの写し(コピー)。大金を示したそうですがさすが高台寺、売却はしなかったそうです。大坂城の山里丸の極楽橋のミニチュアのようなコンセプトの橋です。
 伝聚楽第建築の臨春閣(大阪から移築)から木津から移築した燈明寺三重塔
 こちらは光明皇后ゆかりの奈良悲田院から。日本最初とされる医療機関です。
 旧三笠閣正面。渓谷のせせらぎ沿いの水流に面しています。本来は池の真ん中にあったとのこと。
 旧伏見城から移築した月華殿。大名達の待合室。一部が懸造風。
 こちらは臨春閣の書院。
 臨春閣の二階への階段入り口。華灯窓風で大胆なデザイン。
月華殿客室。

こうして観てみると三渓園は数奇屋名建築のテーマパークのような様相です。
伝聚楽第、伝伏見城移築建造物のほか高台寺の建築コピーや奈良東大寺、法華寺などから移した礎石など。
横浜きっての稀代の長者、原三渓はつくづく桃山時代や奈良時代建築に憧れていたようです。

コメント