宇陀松山城の象形鯱瓦?

珍しい発見です。
なんと宇陀松山城跡から象形の鯱瓦発見です。
 確かに象の瓦です。
こちらは宇陀松山城の本城であった郡山城復元
こんな事例は見たことも聞いたこともありません。

以下、奈良新聞から。
http://www.nara-np.co.jp/20120627092411.html
近世初頭の山城跡、宇陀市大宇陀の史跡「宇陀松山城跡」から出土した瓦の一部を、市教育委員会が復元した。象の頭部をかたどった象形瓦製品や良好な姿を保つ鯱(しゃち)瓦は、全国的に珍しく貴重な資料になるという。
宇陀松山城は、南北朝時代に地方豪族が築城。天正13(1585)年以降、豊臣家配下の大名たちの居城となり、大規模改修された。江戸時代初期の元和元(1615)年に取り壊された。
市教委は平成20~23年度、史跡整備に伴い発掘調査を実施。瓦を中心にコンテナ約500箱分の遺物が出土した。象形瓦製品は7~11年度の調査で左半分が見つかっていたが、本丸跡から新たに右半分が発見された。
復元によると高さ17センチ、幅40センチ、長さ50センチ。鼻の先端は不明だが突き出した牙や大きな目、耳から象と推定され、市教委は「全国的に類例がなく、初めての出土例となる可能性がある」としている。
建物外側の柱を飾る「象鼻」の一種か、建物隅の瓦の上に据える「留蓋瓦」などが考えられるが、「用途は不明」という。
鯱瓦は天守郭周辺から4個体が出土。うち一つは推定で高さ約1メートル、長さ70センチ。比較的均整がとれていて、全容と時期が明らかな例は数が少ないという。
ほかに豊臣家配下、多賀氏の家紋を文様にした鬼瓦が出土した。このことから多賀秀種の居城時(1592~1600年)に、大規模改修で天守郭が整備されたと想定される。
発掘調査では、天守郭周辺の全域で石垣(現存高0・5~2メートル)を検出した。南辺と北辺の中央部近くに張り出し部があり、天守郭の平面形態は横長の十字形になるという。
この時期は方形が一般的で、市教委文化財課の柳沢一宏課長補佐は「近世初頭の大和の城の中で、東の要となった宇陀松山城の特異な様相が分かってきた」と話している。
調査地は埋め戻され、現地説明会は実施しない。復元品は7月5日まで、宇陀市大宇陀拾生の松山地区まちづくりセンター「千軒舎」で展示される。

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