
今やヨーロッパではプラハが千塔の街として人気観光都市になっています。
昔、共産圏時代に訪れた際はいかにもひなびた古都という風情で不便ながらもこれぞ欧州の古都という佇まいでした。
さて古今東西、塔は都市の景観にあっては重要なアクセントになっています。
日本も例外ではありません。
日本で塔の街と云えば・・・。
実は天平時代の奈良はまさに千塔の都、であったと思われます。
後世の資料ですが「院家雑々跡文」(1340年)によると当時の国内高層建築は、
東大寺七重塔 32丈(約96m)
西塔:やや高く33.7丈で100m超
東塔:天平時代に建立、治承の焼き討ち(1180年)で焼失(400年存続)、
貞応ニ年(1223年)から再建、康安二年(1362年)の落雷で焼失
法勝寺八角七重塔 27丈(約81m)
春日大社東御塔五重 17丈
東寺五重塔 16丈
興福寺五重塔 15丈(約45m)→応永の再建では16.8丈で約50m
法勝寺、東寺をのぞき奈良です。
この他では時代を遡った分を含めると
百済大寺九重塔
大官大寺七重塔(藤原京) 一辺5間(約15m)と巨大(東大寺塔で約16m)
大安寺七重塔(大官大寺からの移転)
元興寺五重塔(安政に焼失、国宝の小塔は現存)
薬師寺三重塔(現存)法隆寺五重塔(現存)
西大寺五重塔(計画では八角七重の東西塔、実際は五重塔に変更)
新薬師寺東西両塔
奈良のみやこは南都七大寺の他に多数の堂塔が建立され、さながら百塔の都、いや千塔の街であったことでしょう。
歴史上これほど塔が林立していた都市はないのではないかと思えます。
ちなみに京都では東寺、法勝寺、相国寺七重塔(応永に建立)が上位に入ってきます。
ただし平安京以降では塔の位置づけが低下したのか、塔が林立するというイメージではありません。
東大寺や薬師寺のような東西両塔を備えた伽藍様式も京都の寺院では思い出せません。
現在の古都京都では、ランドマークとしては本来、最高の東寺五重塔が全面に出るべきですが、京都駅前タワーやコンクリート屏風のようなJR京都駅商業施設などで塔の周囲の景観バランスは崩れています。
奈良も県庁庁舎が旧興福寺境内に建っているため、昔のことを考えると随分、景観は劣化しています。
それでも三笠山(若草山)、春日山を背景に、興福寺五重塔が中心となって、東大寺伽藍の圧倒的な存在感とバランス良く古都奈良の景観は維持されているように思えます。
現在の佇まいは歴史的景観としてはぎりぎりのところだと思いますが、今後は奈良らしい美観をどう維持、改善していくか100年、1000年の計が必要でしょう。
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