驚愕の「洛中洛外図」が発見されたようです。
上杉版、舟井版など従来の「洛中洛外図」では近世京都の時代としてのピークであった豊臣秀吉の伏見城を描いたものはありませんでした。
ゆえに太閤の城、伏見城は幻の城とされていたのですが今回初めて屏風が発見され、サプライズとなっているのです。
これほど想像力をかき立てる城はないでしょう。
安土桃山文化という名称は実は、伏見城の遺跡に桃の木が植えられ、桃山と呼ぶことにしたとのこと。
それほどの象徴的な地でありながら関ヶ原の戦で焼失し、又、いったん復興した後も、大坂の陣の後、完全破却され、ほとんど痕跡が残っていない幻の城なのです。
しかも今では明治天皇の陵となり、旧跡に立ち入ることすらできません。
特に豊臣秀吉が政権を運営を行っていた大坂城にいた関白時代の前期を別とすれば聚楽第から移り住んで居城としていたこの伏見城での太閤時代がまさに場所として不明なことが多いのです。
屏風によると建築物はいずれも下見板張りに黒漆の壁、桐の家紋の金箔の飾り付けなどどう見ても太閤の城であり、想像を超える佇まいです。
天守閣の南方には大坂城の山里丸にあった極楽橋に似た楼閣風廊下があり、郭を連結しておりこんな城郭は常識では想像できません。
要塞というより殿館中心の構造でまさに見せる為の視覚効果もかなり重視されていたのでしょう。
しかも天守閣の近くには鑑賞用と思しき古建築風の三重塔(吉野の比蘇寺⇒伏見城⇒現在の園城寺塔)が見えます。
http://www.shiga-miidera.or.jp/treasure/building/13.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E5%B0%8A%E5%AF%BA
まさに趣味人ならではの城郭でしょう。
造りが瀟洒であったり、寺院の塔があったりするのは、大和の多聞城とも共通しています。
今後、今回の発見を踏まえ、幻の伏見城の解明になればと祈るばかりです。
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