高畑本薬師町にあった新薬師寺

 堂々たる新薬師寺本堂と灯篭
 新薬師寺の本堂甍
 現在の新薬師寺周辺の高畑福井町周辺
 高畑本薬師町周辺
 高畑本薬師町から新薬師寺本堂を遠望
 関西電力の共済会館前の新薬師寺旧金堂敷地で疾走するシカたち
丁度、(旧)新薬師寺金堂敷地でたむろするシカたち

不思議といえば不思議なのが奈良の高畑の町名です。
現在の新薬師寺があるところが福井町と呼ばれ、新薬師寺の西方の入江泰吉写真美術館から西側が本薬師町となっています。
この他、上高畑町、下高畑町、高畑大道(志賀直哉邸、KKRなど)がありこれらの高畑町のさらに西側に旧柳生街道に沿って上清水、下清水と酒蔵の町が位置します。
これらの町名の中で本薬師町は新薬師寺まで200Mと少し離れており、福井町には新薬師寺が位置します。

謎が氷解したのは新薬師寺の旧金堂が2008年に発掘されてからです。
旧金堂は文字通り、本薬師町のど真ん中で発掘されました。
本薬師町は言い伝えの通り、正しく、新薬師寺の中枢部があった処だったのです。
今でも壮大な天平時代本堂がある新薬師寺ですが本来の金堂(本堂)が現在の本薬師町に存在していたなら現在の福井町の新薬師寺は何だったのでしょう?

香山薬師寺というのも文献上存在しており、新薬師寺の別名とされているようです。
香水の元となる井戸があることから福井と呼ばれていたのかもしれません。
現在の新薬師寺が(旧)新薬師寺の一角だったのか、或いは新薬師寺とは別の香山薬師寺だったのか、1300年の変遷がどうだったのか興味が尽きません。

ちなみに高畑町というのは、高貴なお寺があった処が畑になったので高畑とか。
奈良時代以降は伽藍がのどかな田園風景になったという意味では平城宮跡もそうですがいかにも奈良らしいといえば奈良らしいことです。

もっとも大極殿跡地と同様、金堂跡そのものは田畑に転用されていなかったのはやはり伝承がずっと生きていたからでしょうか。
塔跡やその他伽藍跡も発見される日々が楽しみです。

現在は奈良教育大敷地内となっている旧金堂跡地ですが、これが寺院敷地内とするとやはりシカたちにとっても奈良公園と同様、わが敷地ということになるのでしょうか。
最近、教育大でシカを見かける機会が増えました。

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